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嫁姑の葛藤は姑と嫁の間の葛藤のことだ。嫁姑の葛藤というのは姑と嫁がそれぞれ自分だけの自我実現を追求する考え方の基準がお互いに合わないものとの確信にいたりながら対立し衝突することである。または双方に関心をもっており、お互いに各自の自我実現を追求する考え方の基準をもっていて自分の考え方の基準を相手に適用することだ。姑は姑の自我実現のための考え方の基準をもっているし、嫁は嫁で自我実現のための自分なりの考え方の基準をもっていてお互いに関心をもちお互いに自分の考え方の基準を相手に適用しながら、嫁は姑によって心の傷を負い、姑は嫁によって心の傷を負うのである。このようにそれぞれの心の傷によって嫁姑の葛藤が生じるようになる。関心をもっていればそれだけ葛藤のほうも深刻になるしかない。
だとしたら姑と嫁のうち誰の間違いによって葛藤が生じるのか? お互いに自分の考え方の基準を適用した結果であるが誰の間違いだといえるのか、もしも嫁が姑に関心がないとしたら、また嫁が姑に関心がないとしたら果たして嫁姑の葛藤が生じるだろうか?
嫁姑の葛藤が生じると姑も嫁も同じ女性として感情をもっているため感情の溝がだんだん深くなる。同じ女性の感情をもってはいるが、姑は自分の息子にたいする考え方の基準をもっており、嫁は自分の夫にたいする考え方の基準をもっている。このとき姑の息子であるとともに嫁の夫である男性が果たして二人の考え方の基準を仲裁できるだろうか? 息子として自分の母に話をし、夫として自分の妻に話をしながら嫁姑の葛藤を解決しようとすればその葛藤はますます拡大するのである。つまり嫁姑の葛藤は夫とは関係のない、姑と嫁の間に生じるものである。
姑は嫁にたいして自分のように「おまえの夫には息子のように対しなさい」という考え方の基準を強要する。姑は自分の息子のために嫁にたいして夫ではなく息子として育てろという考え方の基準を強要するのであるから、嫁は夫の妻として生きていくつもりで結婚したわけで、息子として育てようと思って結婚したわけではないため姑と葛藤が生じるようになる。
その反面嫁は姑にたいして「自分の息子を夫のように対してください」という考え方の基準を強要し、主張するようになるのだから葛藤が生じてくるのである。
姑と嫁は考え方の基準がお互いに異なっているのだということを認めなければならない。姑は自分の息子ではあるが嫁の夫であることを認め、嫁は自分の夫ではあるが姑の息子であることを認めなければならない。姑と嫁はお互いに異なった考え方の基準をもっていたのだということだけを認め合えば葛藤が解消され、ヒーリングとなって幸福感を感じられるようになる。しかし葛藤の原因が正確にわからなければ葛藤は持続するし、ますます深刻な状況になる。
嫁姑の葛藤において姑の間違いなのか嫁の間違いなのかを考えれば、必ず二人のうち誰かが間違っていることになってしまう。これはお互いの考え方の基準が合わないというのを前提にしているのであって二人のうち誰かが間違っているものと確定してしまうことである。しかしお互いの考え方の基準が異なっているというふうに考えれば姑の間違いでもなければ嫁の間違いでもないのである。
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