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親子間の葛藤は親の考え方の基準と子供の考え方の基準がぶつかり合いながら生じる。このとき親の間違いでもなければ子供の間違いでもない。人々は葛藤を良し悪しという観点で考えてしまうために問題が発生するのである。多様な心理相談、人文学の講演、心理や心に関連する教育、説教などでは大部分葛藤は誰かの問題点を指摘するようなかたちで話をする。
葛藤を治療するためのカウンセリングを行なうとしてみよう。カウンセラーが親または子供のうち誰かの問題点を指摘するようなカウンセリングを行なった場合、問題点を指摘した考え方の基準はそのカウンセラーの基準であって当事者であるその親子の基準ではないのである。したがって親または子供の考え方の基準に対して他人がその良し悪しを論じてはならないし、むやみやたらに話をしてはいけないのである。葛藤がない夫婦、親子、家族、恋人、友だち、知人などはどちらか一方の一人が感情を押さえて表に出さずにいるか、一切関心がない場合である。関心をもっている人たちは葛藤が生じざるをえないのだ。このとき葛藤は誰の間違いでもない、ただ自分の考え方の基準がつくりあげてしまうだけなのである。
親と子の考え方の基準がお互い異なっているため親の基準も正しいし、子供の基準も正しいのだ。違っているのだ、異なるのだということが認められれば葛藤は解決する。これが葛藤のヒーリングである。ところでカウンセリングや心理についての専門知識があるといってその親子の考え方の基準を評価し、正しいとか間違っているとかと言いながらカウンセラー自身の考え方の基準を主張するのをよく見かける。このカウンセラーの場合はカウンセリングや心理についての専門知識はあるのだろうが、心と心理がはたらくその原理を知らないのでカウンセラーとしての資質と能力はないといえる。
ごくたまに自分の考え方の基準がまだ形成されていない子供たちがいる。親のいうことをよく聞き、勉強もよくできるし、何でも親の指示通りにする。しかしこれは子供自らの自我が形成されていないからである。つまりまだ自分の考え方の基準がないため親が願うとおりにするのだ。これをみるとき羨ましく見えたりもするが、この子供は大人となったとき自我実現の困難に直面するようになる。
親が自分の考え方の基準によって子供に話し、子供が自分の考え方の基準を話すとき対立と衝突が起こるとすれば葛藤が生じる。親と子供はそれぞれの考え方の基準があるのに対立と衝突がおこると親は自分の考え方の基準を子供に適用させ強要するようになる。このように親が自分の考え方の基準を適用して強要するのは子供の考え方の基準は捨てて親の基準で生きていけという意味である。
仮に親が「こんなふうに生きてみたところ幸せだ」というような考え方の基準をもっていたとしよう。このとき親の考え方の基準は親が人生をおくりながら経験してきた記憶にもとづいてつくられた基準である。そのために親の考え方の基準が子供がおくってきた人生のなかで経験した記憶と一致するような確率はほとんどない。
このように親の考え方の基準でだけ生きていくとしたら子供には問題が起こるしかない。立場を変えて考えてみると親の考え方の基準でなく自分の考え方の基準で生きていく子供のほうがより健康な自我を形成することができる。子供に考え方の基準をどうやってつくるべきかを教えるのではなく親の記憶によってつくられた考え方の基準だけを適用し強要すれば子供に問題が起きるか親子間の葛藤が長引くことにもなりかねない。
このように親と子供が葛藤した場合、これは親の間違いなのか子供の間違いなのか、二人とも間違っているわけではない。子供は子供なりに自分の考え方の基準を親に適用するわけであるし、親は今まで人生を生きてきてこうだったという考え方の基準を子供に適用するのだ。親子間の葛藤は、それが起こる原因を知らなかったにしてはその代価がきわめて大きい。葛藤の原因がわからなければ長い年月をかけて親子間の葛藤は非常に深刻なものとなっていく。
以前は思春期といわれていた用語が最近は中二病と表現されたりするわけだが、中二病または思春期がなぜ存在するのだろうか。これはお互いの考え方の基準が違っているからである。親の考え方の基準と子供の考え方の基準が合わないと考えるために対立と衝突が起き、どうにも我慢できなくなり、子供が家庭を離れてさ迷いはじめるのである。中二病という現象として現れる理由は、中学校二年生ごろになると自分の自我を形成していく時期でだからで、過去とはちがって思春期の時期がどんどん早くなっている理由は知識教育の強化により記憶が多くなったためである。知識教育が強化されればされるほど子供たちは自分の考え方の基準をもつようになり、自分の基準を周囲の全てのものに適用するようになる。親だけでなく教師との葛藤もどんどん深刻になっている理由である。
大人の考え方の基準と合わないといって間違っているというふうに考えてはならない。子供に自分だけの考え方の基準が形成されたことを喜んであげなければならない。社会的にみた場合、大人たちが子供たちの考え方の基準を認めてあげられないがゆえに子供たちも大人たちの基準を認めないのであり、葛藤が生じるのである。これは大人たちの間違いでも子供たちの間違いでもないのに切りのない葛藤が生じて社会的な問題にまで拡大している。
葛藤の原因は子供も大人もお互いの考え方の基準が異なるということを知らないためである。人間が生きていくなかで男性と女性が別々の心をもっており、子供であっても親であっても誰もが唯一無二である自分の記憶と考え方の基準をもって生きていることを知らないがゆえに葛藤が生じる、つまり基準が異なっていることを知らず悟れずにお互い認め合えなくなり、自分の基準だけを適用し主張することで葛藤がひどくなるのである。
親が子供に自分の考え方の基準を強要するのは子供に親よりも劣った人生を強要しているのと同じである。親の考え方の基準は親が経験してきた記憶をベースにして形成された基準であるのに子供にそのような経験も記憶も十分に蓄積する余裕もなく考え方の基準だけを強要するとしたら子供にはその子供に合う考え方の基準が形成されないのである。
したがって親は子供の考え方の基準を尊重しなければならない。子供の考え方の基準が正しいか正しくないかを判断するまえに子供が自分の主張を話するとすれば、ついに子供が自分の考え方の基準を表現することのできる人間として生きていけるようになったのだからお祝いしてあげなければならない。ストレスや心の傷を受けるのではなく、自分の子供が自我実現を追求する考え方の基準をもつようになったことを子供に教えてあげ、一緒に自我実現を追求していくことが人間関係においての幸福を追求することであることを教えてあげなければならない。そうすれば子供は人間関係において自分の考え方の基準をコントロールする能力を養いはじめるようになる。子供に富や名誉のような財産を遺してあげることより子供が人間関係において自我実現を追求していくことのできる能力を財産として遺してあげなければならない。
親は自分の子供を養育する権利をもっていると考える。しかし親は子供を健康に養育しなければならない義務だけをもっている。親は子供が自分の健全な考え方の基準を形成し、人間として自我実現を追求しながら生きていけるように養うべき義務だけをもっているのだ。親が子供の考え方の基準を人為的に操作できるような権利はもっていない。
その反面子供は自我実現を追求する成人になるまでは健全な自我を形成していく権利をもっている。子供が自我を形成していける権利を親が踏みにじってはいけない。親が子供に対する権利があると考えるとすればその子供は成人となって自我実現を追求するときに多くの問題が起こるようになる。自分だけの健全な自我を形成できずにいるため成人となって自我実現を追求するとき多くの困難と直面するしかないのである。
子供が親の考え方の基準にたいして腹を立てたり神経質になったりしたのなら、その良し悪しを論じるまえに祝ってあげなければならない。笑いながら子供に「おまえはついにおまえ自身の考え方の基準をもつようになったな、うれしいよ」といいながら一緒に喜び、その基準が正しいものなのか間違ったものなのかについて話を交わしつつ子供が自我を形成していけるように手助けしてあげればいいのである。子供は自分の考え方の基準に合わないとなるとストレスと心の傷をうけながら苦しくなる。このとき親も知らなかっただけであって子供の間違いも親の間違いもない。このような原理を今となってやっとわかったのであれば子供にこのことについて教えてあげながら正しい考え方の基準を立てていけるように、また健全な自我を形成していけるようにしてあげなければならない。
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